今思い出したね❗
髙梨純一先生は😖💦な大変な苦労をされた人生の様でしたね。
確か1965年の年末頃❓️に、近代宇宙旅行協会の東京本部長の直井寛伸さんと、東海支部長(元・岐阜空飛ぶ🛸円盤研究の会、会長。)の大橋基久先生のお二人に、珍しく大変長文の📩手紙を書き、その複写(コピーではなく、当時は、普通に使った、複写便箋。)の分を、僕の所に送って来ました。
当時近代宇宙旅行協会の会誌は、本来の隔月刊は、ほど遠く、一年間に2冊出れば御の字❗であり、一年間に1.5冊❗平均❗位のペース❗で出ていたのが現状でありましたね。
当時の実質的会員数は約200名程度。多くの会員達は、会誌の送られて来るのを、じっと😣我慢の子👦たちなのでありました(笑)😸正にまさに、子連れ狼🐺の、お子さんの世界だったのだよ(笑)🤣❗
わかるかい🤣❗
わからないだろうね(笑)🤣❗今のガキどものオッ❗カルトかッ❗フアンは❓️
そうそう時代だったんだよ(笑)🤣❗
髙梨純一先生は、当時は既に中学校の教職を辞して、英語の語学力を生かして、大阪市内の貿易商社に勤務。貿易商社とは名ばかりで、弱小零細会社が大半の時代だったんだよ❗
髙梨先生が勤務した弱小零細貿易商社が相次いで倒産❗少なくとも4社❗の破産❗
破産❗の度に別の会社に入りまたまた倒産❗の悲劇❗
髙梨先生は実質的に数十万円❗の被害❗つまり給料✨💰✨の未払い❗による収入0️⃣❗の数年間があったらしい❓️様で御座いましたね。
多分40~60万円位か❓️ハッキリは僕には分からないが❓️とにもかくにも無収入の時期が間違いなく、あったので御座います。
今から約60年前の40~60万円❗は恐らく現在の貨幣価値では、数百万円❓️位でありましょうね。
髙梨先生には妻子があり、家族には大変な苦労を掛けていた様で御座いましたね。
直井さんと、大橋基久先生に宛てた📩手紙の複写便箋の中で、御二人に会の活動が鈍くなっている現状を詫びると同時に、自らの生活の酷しさをさらけ出して、嘆き
又『妻の不理解、売れっ子売文家の、無責任さ』についても、書いていましたね。
『毎日帰宅が、夜9時、10時。それから疲労に鞭打っての原稿作成や、郵便物の整理に苦しみ。』
『赤貧に苦しみ。』
とも語っていましたね。勿論直井さんと、大橋基久先生への📩手紙の中で。
売れっ子売文家❗とは、当時のUFO関係の雑誌記事等で大活躍❗していた❓️
○山○さん(笑)❗知る人ぞ知る🤣(笑)❗
とか、○藤○○さん❗が主ですね(笑)🤣❗
中岡俊哉さんは未だ、当時はさほど書きまくってはいなかったよ(笑)🤣❗
とにもかくにも髙梨純一先生の40代初期~40代後半の人生は、正にまさに、苦しみの無間地獄❗そのものの様で御座いましたね。
髙梨純一先生の人生に多少なりにも光✴が当たり🎯出したのは、確か先生が50歳の初め頃に❓️奥様の父親が他界されて、遺産が少し入り、当時住んでいた豊中市桜塚東通りとは別の所に家屋敷を構えて、多少なりにも生活が安定して、それから暫くしてから、大陸書房から、髙梨純一先生が長年に亘り、書き続けてきた、『SFマガジン』のコラム記事『フアンタジィの花籠に』『世界フアンタスティク通信』これは膨大な原稿量❗でそこそこ分厚い単行本❗で全12~15冊分位に成ります。が、その中から全3巻の『世界の四次元現象』(1.2.3)の3冊が、SFマガジン編集長の森優さん、南山宏さんの『監修』と言う形で出版社された事でしたね。(笑)❗
それから暫くしてから髙梨純一先生の最初のUFO専門書❗
『空飛ぶ🛸円盤実在の証拠👣👣🔍』
と言う力作❗が高文社から出た❗
髙梨先生のUFO専門書は、それ以前に確か3回有りましたが、何れも上手くいかなかった。或一つの計画は近代宇宙旅行協会の東京本部所属の、確か世田谷支部長の森本梅雄さんと言うかたとの共著で出す計画でしたね(笑)😃✨⤴❗森本さんは確か羽田空港の管制官の方でしたね(笑)😃✨⤴。
過去の記憶がめちゃくちゃによい❓️僕のUFO昔話の一つさ(笑)🤣❗
多少なりとも面白いかい🤣(笑)❗
それとも、うぜー❗もう書くな❗ですかね。(笑)❓️
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