今日は🇹🇼台湾のテレビで、烏來(ウーライ)の『らら山🗻』(字が🤷分からない(笑))海抜1500メートル弱と、別の山🗻、海抜800メートル弱の二つの山🗻の中にあった、1920年代~1945年。もう一つは1920年~1928年の間に、侵略者日本の『駐在所』つまり交番、警察の跡を紹介していた、大変興味深いドキュメンタリーを観ました。
何れも、🇹🇼台湾の先住民族の住んでいた地帯の山🗻の中の交番の跡です。
番組自体は、駐在所の紹介ではなく、二つの山🗻の自然や植物など全ての紹介。
それはそれで大変興味深い🫅素晴らしいものですが、侵略者日本人の交番のお巡りさんの一家が住んでいた家屋敷の跡。石垣が残っていて、その上に家🏡があった。沢山の割れた酒瓶や、ビール🍺瓶や、醤油瓶などが今尚家屋敷跡に残る。いくら台湾🇹🇼とは言うものの、海抜800メートル、1500メートルの山🗻の中は冬🎁⛄🎄は、半端でなく寒い🌁⛄🌁。駐在所の一家以外には、周りには一人の住民もいない。そんな生活の中で酒は🍶唯一無二の心身体の慰めであった筈だ。日本でも例えば、僕の住む天竜区の奥深い、水窪の町の人々は日本酒🍶が唯一無二の人々の心の拠り所でありました。
🇹🇼台湾の先住民族の山の中の侵略者日本人の警察官一家の寂しい生活の日々に胸が詰まりました。
竈の跡の石垣。生活用水のパイプ配管が、いまだに有り、水が流れている。
こんなトンデモナイ山中にも侵略者日本の力が及んでいた事実をこの目でハッキリと見たのは感動と同時に大変な🥶ショック😱⤵⤵でした。
今から40年前に妻の実家の僕の義父が語った話は忘れられない。戦時中、妻の実家である田舎に日本人の警察官が二人いただけで、街🏢🏬🚶🚃中は、収まった。敗戦後日本人が台湾🇹🇼から去り、台湾🇹🇼人の警察官が100人いても、街🏢🏬🚶🚃中の収拾が着かなかった。
それぐらい日本人の警察官は怖かったと言いました。
如何に侵略者日本が台湾人に恐怖心を与えていたのかを理解出来ました。
反面日本人の治安維持のノウハウは、凄く、台湾の人々に大きく貢献したと、義父は語りました。
僕の義父は昔のアメリカ映画の俳優チャールズ・ブロンソンのそっくりさんでした。大変な良い人でした。日本には10回位来ました。一月位住んだり、長い時は数ヶ月間住みました。
山の中の生活跡で思い出したのは、僕の家の近くの観音山と言う山の中にあった、観音寺と言う小さなお堂に、恐らく昭和20年代の後半~36年位か❓️
或る、恐らく御岳山の行者とその妻と一人娘の山の中での生活を思い出します。
詳しい事はここでは述べませんが、この行者一家の😞悲しい人生模様を、一家が山🗻での生活を去り、数十年後に、その跡地を、僕と天狗👺研究の仲間が訪ねた日の事を今でもハッキリと覚えている。
その日は、今から31年以上前の事。今日の🇹🇼台湾の先住民族が住んだ山の中の駐在所の跡の光景を見て、突然思い出した。
0 件のコメント:
コメントを投稿