今から53年前の昭和47年、僕が23歳の時に自家版で出した24頁の小冊子『母国よ、我らを記憶せよ❗ーーー悲劇のソ連宇宙開拓者たち』
【ソ連宇宙開発の疑問点を追究する会・発行】
恐らく、世界中で最初のソ連宇宙飛行士秘密事故死❓️についての小冊子ではないか❓️と思っています。僕は今から58年前の18歳のある日に、大阪の豊中市桜塚東通り、と言う所に有った近代宇宙旅行協会・会長の故・髙梨純一先生のお宅で、髙梨先生が書かれた、当時出ていた『月刊中二コース』と言う雑誌の原稿『かねてからの噂は本当だったのか❓️ーー悲劇のソ連宇宙飛行士の秘密事故死。』と言う400字詰原稿用紙12枚位のものを、見せていただき、その日にお借りして、帰宅後に読了して天地がひっくり返える様なショック😱⤵⤵を受けました❗
僕は100部作り、日本宇宙旅行協会(JAS)の原田三夫先生にも贈呈。原田三夫先生は、即返事をくれまして『JASの幹事の一人の、日下実男先生に転送した。日下実男さんから、返事が有るだろう云々。』の由でしたが、遂に日下先生からの返事はなかった。ずっと後に、JASの活動が鈍った時に日下先生が、僕に長い、便箋で5~6枚の手紙を送っていただきました。但し、内容はJASの活動に関する話で、僕の小冊子については、触れていなかった。
又東京の柴野拓美さん。小隅黎(字が違うか❓️)さんは、一度東京の日本空飛ぶ🛸円盤研究会の荒いさんのお宅で、僕が22歳の頃、お会いした事がありましたが、手紙💌で、僕の小冊子を5冊欲しいと買ってくださいました。

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