今日突然思い出した(笑)🤣❗
僕が中一の頃に『週刊少年サンデー』誌に佐伯誠一先生が、時たま、空飛ぶ🛸円盤の記事を書いていて、ワクワク😃💕ドキドキしながら、読んだものでした(笑)🤣❗
大体2~3頁位の記事❗その記事の中に別にColumn欄があり、近代宇宙旅行協会調査部長、平田留三提供、記事、の別の円盤🛸情報が、載っていましたね(笑)🤣❗
僕は高一の15歳の初夏確か、6月初めに高梨純一先生の近代宇宙旅行協会に入会❗平田留三さんは同会の理事5人の一人で、調査部長も兼任されていましたね(笑)🤣❗
昭和30年代の初期に、時たま空飛ぶ🛸円盤の👀‼も目撃事件❓️と言うか、目撃ニュースが、高梨先生の下に入ると、平田留三さんのスクーターに高梨先生も後部💺座席に乗り❗
爽やか😃✨な風を切って、お二人で楽しく会話しながら、👀‼目撃者のお宅迄走り去って行った、古き良き時代❗
嗚呼、何と言う良い時代でありましょうね(笑)🤣❗
しかしながら軈高梨先生と平田さんは、会組織上の様々な問題で、近代宇宙旅行協会の5人の理事の内の4人が同会を去り❗新たに、更にさらに昔の近代宇宙旅行協会の神戸支部長の雲井世雄(くもい、せお)さん、高梨先生とトラブり、同会を退会❗も加わり、新たな理想的な空飛ぶ🛸円盤研究団体❗の結成❗を目指して、日本UFO研究会❗を立ち上げて❗
日本の空飛ぶ🛸円盤研究の歴史に✨🆕✨新しい時代が始まります(笑)🤣❗
1965年スタート❗1966年❗日本UFO研究会❗の会誌『JUFORA』が出たので御座います(笑)🤣❗そうそう雲井さんの友人の岡井吉隆さんも日本UFO研究会の設立メンバーに加わりましたね(笑)🤣❗日本UFO研究会では、確か年一回神戸の六甲山の有馬温泉に一泊して、6~7人の幹部が、『UFO放談会❗』をやっていましたね(笑)🤣❗当時はCBAだけが派手に活動していて、高梨純一先生の会は、活動が鈍り、正にまさに平田留三さん達の日本UFO研究会に期待があったので御座います(笑)🤣❗
僕もワクワク😃💕ドキドキしながら、✨🆕✨新しい平田留三さん達の活動❗を期待❗していたので御座います(笑)🤣❗
雲井さんは、昭和31年頃に『UFORegister』と言う会紙を数号発行されていましたね。雲井さんはお寺のお坊さん。確か7~8年位前に他界されました。今健在ならば、85~86歳位か❓️
雲井さんから時々電話を戴きました(笑)🤣❗今から50年位前に❗雲井世雄さんは、ヨーロッパの科学の古典の原書のコレクターとしては、日本ではかなり有名な方でしたね。(笑)🤣❗あらゆる科学専門書を、数百冊集めておられた様です。若い時に一冊の古典の原書で1月分の給料🏢💴が、飛んでしまった(笑)🤣❗との、お話を聞いた事が有りましたね(笑)🤣❗
日本UFO研究会の会長、平田留三さんは僕の家に2回来ました。一度目は、神戸の原禎男(はら、よしお)さんと二人で。三人で、秋葉山の奥之院の、戒光院に一泊しました。二回目は平田さん一人で僕の家に泊まりました。僕の天狗👺資料館の🏗️建設に協力して戴きました(笑)🤣
天竜の山間部を二人でDriveしました。古き良き時代❗の思い出。平田さんは神戸新聞社から、『決定版❗これがUFOだ❗』を出す計画でした。400字詰め原稿用紙で、500枚の大作❗新聞社側の事情で、お蔵入り❗残念でしたね。
Drive中に平田留三さんは、彼のプライベートの秘密🙊話、僕が何も質問しないのに語りだしました(笑)🤣❗
平田さんの多分❓️50代後半❓️ぐらいの、まあ一種のロマンス❤かなあ(笑)🤣❗
平田留三さんは阪神🎙️録音社と言う会社を一人で何十年間か❓️経営❗この会社は後に国際レコーディングと言う名前に代わりました(笑)🤣❗
無数のあらゆるイベントとか、個人の依頼による、🎙️録音とか、スライドショー等の企画❗をやられていましたね(笑)🤣❗
『これがUFOだ❗』と言う平田さんのナレーション入りの、平田さん自身の水彩画の世界中の空飛ぶ🛸円盤👀‼目撃事件❗のスライドの作品は名作❗平田さんのナレーションは、中々素晴らしい❗
平田留三さんは大変ユニークな、面白い方でしたね(笑)🤣❗UFO以外の様々な話題の豊富な知識、知恵の持ち主ですね(笑)🤣❗
僕は20歳位の時に日本UFO研究会の静岡通信員をやっていましたね(笑)🤣❗
彼は晩年に『UFOジャーナル』と言う季刊誌を出していましたね。確か8年間位。32号位❓️迄出したのかなあ(笑)🤣❗
高梨純一先生の他界の一年後に、高梨先生と同じ74歳で他界されました。ご冥福を🛐お祈り申し上げます。合掌。
平田さんは40代の後半に、神戸のちょっとした山間部に御自宅を建てられました。『森と湖に囲まれた』理想的な環境らしかった❓️
確かに良いオジサンでしたね(笑)🤣❗
そうそう『JUFORA』誌は、確か23号位迄出たかなあ(笑)🤣❗僕も時々、小文を投稿していました(笑)🤣❗
高梨純一先生とは、全くの別のやり方ですが、矢張今になり、🤔考えると、平田留三さん達の日本UFO研究会❗は日本のUFO研究の歴史上、忘れるわけにはいかない、一つの記念碑❗を打ち立てた❗深い意義があります(笑)🤣❗
僕は近代宇宙旅行協会の静岡支部長と日本UFO研究会の静岡通信員を兼務していた。その後に僕自身のUFOフアングループを日本初の、やり方で結成❗数年間に亘り、日本のUFO研究界に、一つの歴史を残しました。僕の会が、一つの起爆剤になり、日本中に無数❗恐らく100以上の若者のUFOフアングループが出現したので御座います(笑)🤣❗今から50年近い前の事で御座います(笑)🤣❗
僕の名前は、今に至り知る人は日本中で数人のみ。しかしながら、僕は日本のUFO研究フアンの歴史上の、一つのキーポイントを残しました❗これは絶対に間違いない❗これは譲れない事実❗
僕は名もなく、貧しく、美しくは無い(笑)🤣❗一人の青人草❗誰にも知られず、誰にも褒められず、誰にもクニモサレズ、もうまもなく、この世を去る宿命❗世の中には、そういう人間もまた必要❗ダウンタウンのビルの谷間の🍂枯れ葉を黙って掃いている、一人の冴えない👴老人。無数の人々が通り過ぎる街🏢🏬🚶🚃中を竹箒で掃いている。粉雪がパラパラ舞い落ちる。何処で、ダーク・ダックスの『雪の降る町を』の音楽が聞こえて来る。そうだ、今夜は冷えるなあ…⤵歩き去る無数の人々には暖かい夕げが有るだろう。彼らはまだ若い。彼らにはまだまだ夢があるだろう。僕にも青春は有った。恋も沢山した。しかしながら、青春は、一瞬の時。直ぐにお迎えは来る。次は君の番だ。
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